食に対する考え方は人それぞれすぎる
食費に対する考え方ってほんと、人それぞれですよね。
職場のランチ事情を思い出してみても、さまざまです。
例えばランチには一切お金を出したくないって女性がいて毎日必ずお弁当でした。
ある日、どうしてもお弁当が作れなかったらしく
なんと食パンにシーチキンだけ挟んで持ってきていました。
よほど食には興味はないんでしょうね。
食に興味がないといえば、やはり女性ですが、ランチが「アンパン」と「おにぎり」だけって人も見たことがあります。
大学の職員として働いていた頃は、最近の学生さんの食事情を知ることになりました。
学食があるにもかかわらず、多くの学生はパンとお菓子、から揚げという組み合わせ。
カップラーメンだけとかアイスを食べてる子もいました。
私が大学生だった時は必ず学食で定食か麺類を食べていたので
なんだか今の学生さんってそんなにお昼代をかけたくないのかなと思ったり。
そういえば最近のYouTuberの若者を見ても、たとえお金があっても、彼らにとっての豪華な食事というのは「高級なレストラン」ではなく、コンビニでの高級スイーツや高級お弁当なのですね。
この歳になってみると、食に興味があってある程度のお金をかけられるということは「良いこと」なんじゃないかと思っています。
なんといっても体が資本。
おいしいもの、体に良いものを食べられるということは、人生をすごく長い目で見られるということにつながると思います。
ちなみに我が家では大人2人で月に5~6万円の食費をかけていると思います。
多い方かもしれません。
今日もおいしいもの求めて散策します。
効率性か、あえて非効率か、ワクワクか
ビジネスにおいては生産性を高めることを求められる現代です。
私自身も仕事は速い方だと思いますし、おまけに歩くのも速いです。
どの職場に行っても「歩くの速いねー」とよく言われるのです。
最近はよく、これからどのような生活を送るかを考えていますが
もし効率性を重視するなら、「短い時間で」「無駄を省いて」効率よく稼ぐことを考えなければなりません。
お金や時間を最優先するならそれが一番ですが、
自分自身のことをよくよく考えるとそれが一番良いとも思えない気がしてきました。
というのも、やらなければいけない作業やルーティンワーク的なものは効率的に短時間でやりたいですが、これまで経験から考えると、そうではない時のことは何倍も思い出に残っているのです。
例えば自分では絶対行かないであろう場所への出張での経験、目的を持たずに出かけた旅行、無理に話を合わせた職場の人からの会話から得た情報等々。
私は初めての場所へ行くことや初めての人と会うことを楽しめる性格なので、あえて非効率であってもワクワクする方をとると、なんとなくうまくいってきたような気がします。
効率よりワクワク。
そう心がけて生きてみるのもおもしろいかもです。
退職してから減らしたもの
定期収入があるということは、精神的な安心感がありますが、同時に私の場合はものを買ったり使ったりすることに関してあまり考えずに行動してしまいますね。
お化粧品を買うのが好きで、最近はドラッグコスメ中心でしたが細々とパッケージの可愛いものを買い集めていました。
それが前回派遣社員として働いていたさなか、急に顔がかぶれてひどい状態になりました。皮膚科に通ったりはしたのですが、化粧水やクリーム、リキッドファンデーションに至るまでお化粧品が全く使えない状態に。
仕事はメガネとマスク姿でノーメークで通しました。
現在は回復したのですが、こわくていまだに化粧水をはじめとしたスキンケアは全くしていません。
で、どうなったかというお肌の調子はすこぶるいいんです。
不思議です。
あれやこれやとお化粧品を試していてもお歳のせいかシワやくすみが気になっていたのに、なんだか今の方が肌がきれいに見えるんです。
そんなことがあって今はパウダー系のお化粧のみ。
化粧品代が激減しました。
自分では思いつかない節約法(?)だったので意外でしたね。
「仕事は全くしない」と決められる?
47歳の時にそれまで8年以上務めた職場を辞めることを決意しました。
なんとか50歳までに生活を改めたかったということもありますが
そのまま働き続けることには不安が大きくなっていました。
例えば管理職の人からは「契約社員は人事評価で最高点が5年続いたら正社員にしてあげる」と言われてはいましたが、逆に成績が善くないと辞めさせるとも。
遠まわしなリストラ策のための人事評価導入なんだと悟りました。
趣味も習い事もすべて辞めて臨んだ仕事でしたが、それなりの結果を出したにも関わらず評価されず。
他の50代の女性たちもどんどん辞めて(肩たたき的なものにあって)いたのでますます居づらい雰囲気になっていました。
将来の保証はできないから転職先を探しておく方がいいよ、とも言われたりして。
心底ストレスがたまっていたのでこれ以上続ける必要もないと判断して辞めました。
実際に辞めてみるとこのブログでも綴っているように価値観や生活が大きく変わり、良かったと思っています。
その後は期間限定(1か月~4か月くらい)の派遣の仕事を2度やりました。
今は無職です。
その後、仕事をまたやった方がいいかなと軽い気持ちで派遣にエントリーしていますが、ことごとく落とされています。
老後の必要資金っていろいろなところに書かれていますが、どれも皆見解がさまざまでなにを信じていいか迷います。
やはり自分たちの生活形態を基準に考えた方がいいのでしょうね。
ただ、私は性格的に飽きっぽいので、堅実な節約生活を続けられる自信がありません。
時には贅沢したり遊んだりお金をパーッと使ったりということもしたくなってしまいます。
意志が弱いんですね(-_-;)
今後の自分の気持ちなんてどう変わるか自分でも全然わかりません。
今のところはカッチリと決め込まないでその時その時にやりたいことを更新していく感じで緩く考えていこうと思っています。
我が家の散髪事情
東京に一人暮らししていた20代の頃は行きつけの美容院がありました。
男性ひとりで経営している個人のオシャレな美容院。
確かカットで6000円くらいだったと思います。
都心でマスコミ、第一線で活躍していた(つもり?)私にとって
オシャレな美容院へ通うのも自分の士気を高めるアイテムのようなものだったのでしょう。
「高いな」とか「もったいない」とかこれっぽっちも思いませんでした。
あれから20年の時は過ぎ、現在はというと。
自転車で行ける距離の安い美容院に行っています。
カットで1900円。
実はこれでも高いなと思い始めています。
美容院ってカットした後のブローの時間が長くないですか?
普段家ではドライヤーをかけない私にとっては
ドライヤーで乾かしたり整えたりする時間が長いと思うし
それだけ髪も傷むんじゃないかなと思ってしまいます。
そこで今度挑戦してみたいのが「10分で1000円カット」。
時間も短くてお値段も安いなんて願ったりかなったり。
ところでダンナの散髪は結婚以来ずっと私がやっています。
もともとオシャレには無頓着だし、別になんでもいいそうです。
私がカットがうまいわけではもちろんありませんが
テキトーに切ってもそんなに印象が変わらないので
まあいいかなという感じです。
私のことについて
あらためまして。自己紹介などしてみたいと思います。
今年50歳になる女性です。
14年前に結婚。子どもはおりません。
約四半世紀の間、正社員→契約社員→派遣社員→契約社員とフルタイムで働いてきましたが2年前に退職。少しの間フリーのライターとして活動しました。
半年前に派遣社員として期間限定で勤め人生活を復帰。
契約終了のため現在は無職です。
再び仕事を探し始めましたが年齢のためか、派遣のエントリーをしても落とされるばかり。最近限界を感じ始めました。
ならば節約生活を楽しみながらフリーを楽しむのもいいのではないかと思い始めている今日この頃です。
ちなみにダンナさんはフリーのイラストレーター。自宅で仕事しています。やはり収入が不安定なので最近でも期間限定で派遣社員をしたりもしています。
会社勤めをしている頃は、このまま勤め続けられるだろうかという不安が年々強くなるばかりでした。
景気のいい職場ではなかったので、50代の女性が何人もリストラに合う現場も見てきました。
頑張っても頑張っても報われない感覚。限界を感じて退職しました。
そうしたら新しい世界が待っていました。
「稼いで使う」生活から「工夫して節約する」生活へ。
どこまでできるかわかりませんが、気の変わりやすい自分が芯を持ってブレないよう、そんな生活の様子をこのブログに綴っていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
私の人生「無駄な努力」だらけ
こんな本を読みました。
テレビかなにかで見かけたおっとりとした美しい女性、中野信子さんという方は
なんと見た目とはギャップのあると感じた「脳科学者」だそうです。
本人は東大卒だし、おそらく幼い頃から周りがバカに見えていたのでしょうね。
「そんな努力しても無駄なのに」って思っていたと推測されます。
私もこの歳になってつくづく感じていることがあります。
それは「ほとんど生まれつきの才能で決まる」ということです。
まあ身もふたもないという話なのですが、要するに生まれ持った気質みたいなものは
変えられないと思うからです。
例えばわかりやすい話だと「足の速さ」とか「声の良さ」など。
これは生まれ持った気質が大きいというのは誰にでもわかります。
ある程度努力で少しは向上するものの、生まれ持った才能には
どうあがいても勝てません。
子どもの頃は自分の持つ気質など見極めることなどせずに
周囲の意向で努力させられたような気がします。
じゃあ、私には何の才能があるの?
それは50歳にもなろうとしているのにいまだわかりません。
しかし自分の「やってて負担のないこと」「やり続けられること」
はなんとなくわかります。
もっと早く気が付けば(あきらめれば?)良かった、というお話。
ほんとに身もふたもありませんけどね。